時の宙づり — 生と死のあわいで
ゲスト・キュレーター:ジェフリー・バッチェン(写真史家)
2010年4月3日(土)→8月20日(金)
L.F.クレイマー(アメリカ)、「額に入った女性の肖像写真の覆いを外す、白いドレスを着た女性」、1890年頃
 「時の宙づり―生と死のあわいで」展は写真史家のジェフリー・バッチェン氏をゲスト・キュレーターに招待して開催される展覧会です。近年、著作が日本語を含む数カ国語に翻訳されるなど、その仕事は国際的に注目を集めています。バッチェン氏が2004年に企画し、ヨーロッパ各地とニューヨークを巡回した展覧会「Forget Me Not: Photography and Remembrance(私を忘れないで:写真と記憶)」は写真と記憶の関係について考えるものでした。本展はその続編として、写真と時間の関係に焦点を当てています。バッチェン氏自身の写真コレクションを中心に、日本の美術館では普段見ることが難しい19世紀の額入りダゲレオタイプ(銀板写真)や写真ジュエリーなど、300点以上が展示されます。

 美術館で写真作品が展示されることが一般的になって久しいですが、本展に出品される写真のほとんどは、無名の写真家や職人によって作られた後、時代や土地ごとの慣習に乗っ取って使用され、愛でられてきたものです。アート写真と区別するために、そのような写真は研究者によって“ヴァナキュラー(ある土地に固有の)写真”と呼ばれてきました。ヴァナキュラー写真研究の第一人者として知られるバッチェン氏が言うように、もし私たちが写真について真剣に考えるならば、アート写真の“傑作”だけでなく、これまで見過ごされてきたような、そうしたヴァナキュラー写真にも目を向ける必要があるでしょう。

 これらの写真の多くはそれが作られた当時には、平凡でありふれたものでした。しかし、時代も文化も隔てた私たちの目から見たとき、それはまさに驚くべき姿形をしています。写真は複製技術ですが、制作者や持ち主によってさまざまに加工されたそれらの品は一点物としての、それぞれの個性を放っています。視覚だけでなく、触覚にも訴えかけるように作られたそれらの写真オブジェが発する独特の存在感は、実物を前にして初めて感じ取ることができます。


制作者不明( アメリカ) 「造花のリースに縁取られた若い女性の肖像」1890 年頃

「AT REST ( 安らかに)」という言葉とともに蝋の造花と蝶が写真の周りに飾られています。それらは写真の女性の“ 新たな生” を象徴しています。
制作者不明(アメリカ)「ペーパーウェイトに収められた少女の肖像」1910 年頃

写真がはめ込まれた透明なペーパーウェイトには少女のものと思われる髪の毛が、ハート型に編まれています。19世紀のアメリカでは装飾用の髪の毛は主に女性の手で編まれたといいます。
制作者不明(アメリカ合衆国)「少女の肖像」 1850 年頃、ダゲレオタイプ

1839年にフランスで公表されたダゲレオタイプ(銀板写真)は商業化された世界初の写真技法です。華麗に装飾された額縁は、肖像写真が肖像画の長い伝統に負っていることを示しています。
 写真が持つ様々な魅力や可能性のうち、本展では特に「写真が生と死の間で被写体を“宙づり”にし、過ぎ去りゆく時間の流れに被写体が打ち勝つことを可能にする能力」を探求しています。私たちになじみの先祖の遺影もそのような能力と無縁ではありません。ヨーロッパ、アメリカ、メキシコ、オーストラリア、日本といった世界各地の作例が一堂に会すことで、さまざまな文化圏における死生観や、時間の概念、肖像のもつ意味の違いをも浮き上がらせることでしょう。

          
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 「写真が生と死の間で被写体を“宙づり”にし、過ぎ去りゆく時間の流れに被写体が打ち勝つことを可能にする能力、それが本展のテーマです。この“宙づり”は写真によってのみ可能となるだけでなく、フランスの批評家ロラン・バルトによれば、写真の悦楽と狂気の源となるような性質です。
 「時の宙づり―生と死のあわいで」は、それぞれの文化や土地に固有の使用例において、こうした写真の能力が19世紀半ばから現在に至るまで、様々に利用されてきた仕方を広く検討します。本展で紹介されるいくつかのジャンルの写真は、バルトの言葉を借りれば「死んでしまっているのに、まるで生きていることを欲するかのように写っている、被写体が及ぼす魅惑」を放っているのです。
 これらのジャンルのいくつかは過去のある瞬間を、堅固で手に取れるような現在へと変えます。また他のいくつかは写真を髪の毛、絵の具、書き込みなどと結びつけることで、五感を刺激する体験を私たちに提供します。その体験は、記憶と時間に対する私たちの通常の理解を改めて考え直させるものです。多くの作例が過去と現在、伝統とモダニティを結びつけることから生じる緊張を示しています。特に驚かされるのは撮影者の影が写り込んだスナップ写真の数々です。その中には写真を撮影する行為だけでなく、亡霊のような撮影者の存在が組み込まれています。撮影者は写真の中と外に同時に存在し、そこにいるようでそこにおらず、生と死の間で宙づりになっているのです。」

ジェフリー・バッチェン

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【略歴】
ジェフリー・バッチェン(Geoffrey Batchen)
写真史家。ニューヨーク市立大学教授。
氏が企画した「Forget Me Not: Photography and Remembrance」展は2004 年のファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)を皮切りに世界各地を巡回。著書・編著・論文に『Burning with Desire: The Conception of Photography』(The MIT Press, 1997)、『Each Wild Idea: Writing, Photography, History』(The MIT Press, 2001)、『William Henry Fox Talbot』(Phaidon, 2008)、「スナップ写真:美術史と民族誌的転回」(『photographers' gallery press』no.7, 2008)、『Photography Degree Zero: Reflections on Roland Barthes’s Camera Lucida』(The MIT Press, 2009)など他。代表作である『Burning with Desire』の邦訳が青弓社より2010 年春に刊行予定(『写真のアルケオロジー』前川修・佐藤守弘・岩城覚久訳)。

【関連企画】
4月3日(土):トークイベント「ヴァナキュラー写真とは何か?」(ジェフリー・バッチェン初来日)
【展覧会カタログ】<2010年4月初旬刊行予定>
『時の宙づり—生・写真・死』
カラー図版100点収録、和・英バイリンガル
テキスト:ジェフリー・バッチェン/甲斐義明/小原真史
ブックデザイン:林琢真
予価:3,360円(税込)/IZU PHOTO MUSEUM発行、NOHARA発売

※同時開催中:古屋誠一展 Aus den Fugen/アウス・デン・フーゲン(ヴァンジ彫刻庭園美術館)