「富士幻景 富士にみる日本人の肖像」
2011年6月9日(木) - 9月4日(日)
杉本博司「横浜写真 明治20年代」2007-08年 ©Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
富士山は特別な山として長らく日本人の崇敬を集めてきました。ある時は信仰の対象として、またある時は日本のシンボルとして、人々は美しい稜線をもつその山を仰ぎ見てきました。富士山の姿は変わらずとも、それをまなざす人々の心情や時代情況によってこれまで多様な富士が生み出されてきたといえます。したがって、古来より歌や文学、絵画などの題材として千変万化してきた富士の表象は、この山にさまざまな思想や思いを仮託してきた日本人の心象風景でもあります。本展では幕末・明治の富士、外国人から見た富士、博覧会の富士、戦中の富士、現代美術の富士など、時代とともに変容してきた富士の姿を、写真とさまざまな印刷物を通して紹介いたします。

ウィリアム・ハイネ「小田原湾」1856年
『ペリー提督日本遠征記』(1856年)に収録された挿絵には富士山の姿がいくつか確認できます。ペリー艦隊には写真師と画家が従軍しており、彼らは停泊した浦賀や横浜から富士山を観察しています。それまで信仰の対象であったこの山に、日本を訪れた外国人たちによって測量という近代科学のまなざしが注がれました。

 
玉村康三郎「人力車」1880年代
横浜写真は幕末から明治末にかけて、国内最大の貿易地となった横浜を中心に製作された手彩色の写真です。開港地を訪れた外国人写真師と彼らから写真術を学んだ日本人写真師たちによって日本の風俗や風景が撮影され、外国人旅客向けの土産物として数多く輸出されました。背景の書き割りや写真アルバムの表紙には頻繁に富士山が描かれていました。

19 世紀半ばにヨーロッパで発明された写真は幕末期に日本に伝わりました。その意味で、写真伝来から今日まで数多く撮影されてきた富士山の写真は、近代日本を写す鏡であり、それぞれの時代を生きてきた日本人の肖像のようでもあります。
本展は富士山近郊に位置するIZU PHOTO MUSEUM で継続していく「富士から見る近代日本」シリーズの第1弾となります。 (出品点数450点以上)
◎出品作家(敬称略)
下岡蓮杖
F. ベアト
R. スティルフリード
日下部金兵衛
岡田紅陽
小石 清
土門 拳
濱谷 浩
東松照明
英 伸三
森山大道
荒木経惟
藤原新也
杉本博司
松江泰治
野口里佳ほか
◎トークイベント
「日本人と富士の病」 
金子隆一(写真史家) × 倉石信乃(批評家) × 小原真史(当館研究員)
日時:6月19日(日) 午後2:30 – 4:00
料金:無料(当日観覧券が必要です。)
定員:200名
参加方法:お電話にてお申し込みください。(055-989-8780)
◎学芸員によるギャラリートーク
日時:毎週土曜日 午後2:15 – (約30分間)
料金:無料(当日観覧券が必要です。)
申込み不要(カウンターの前にお集まりください。)

土門 拳「防共富士登山隊」1938年(財団法人 日本カメラ財団蔵)
1938年、日独伊親善協会が主催となり「防共連盟親善富士登山」が行われました。同盟参加国の学生を中心として7カ国の代表60余名が参加しました。撮影は対外宣伝の場で頭角を現していた若き土門拳。写真にはインターナショナリズムとナショナリズムとが渾然一体となった風景が写し出されています。

撮影者不詳「B29と富士山」1945年
1944年から米軍による本土空襲は激しさを増していきました。B29爆撃機は富士山を目標に南方の基地から飛来し、その後日本の各都市に向かいました。富士山の上空を悠々と飛ぶ米軍機の姿は制空権がアメリカ側に移ったことを物語っています。


濱谷 浩「富士山放射岩、静岡・山梨県」1961年
1961年に濱谷浩が撮り下ろした富士山は自然讃歌とは一線を画した冷徹な眼で切り取られています。この写真が収められた写真集『日本列島』(1964年)には「人間は いつか 自然を 見つめる時があっていい」と書かれており、敗戦と60年安保後の虚脱を経験した濱谷が日本人ではなく、日本列島という自然そのものを見つめてきたことが示唆されています。
森山大道「富士」1978年

【関連書籍】
『富士幻景―近代日本と富士の病』
カラー図版340点収録、和・英バイリンガル
テキスト:小原真史
ブックデザイン:林琢真
3,780円(税込)/IZU PHOTO MUSEUM発行、NOHARA発売