富士定景―富士山イメージの型
企画:IZU PHOTO MUSEUM、ヘルムート・ヴェルター
協力:御殿場市教育委員会、富士山 樹空の森
2015年1月17日(土)―7月5日(日)
阿部正直、雲の写真324、1934年3月22日、 4:23 pm
 均整のとれた美しい稜線を持つ富士山は写真術の渡来以降、魅力的な被写体であり続けてきました。富士山を被写体とした写真は幾度となく撮影され、使用される中である種の定型を形成してきたといえます。本展は富士表象の系譜を辿った第1部と「雲の博士」として知られ、御殿場で富士山にかかる雲の研究を行った阿部正直氏(1891-1966)の仕事から成る第2部で構成されています。伯爵家に生まれた阿部博士は1927年に御殿場に私財を投じて阿部雲気流研究所を設立し、富士山にかかる雲の定点観測を行いました。撮影用機材や観測装置を自作するなど発明家としての顔もあり、映画や立体写真の手法を駆使して独創的な方法で研究に従事しました。富士山上空で千変万化する雲を映画のコマ落としの手法で撮影した映像をはじめ、貴重な資料を展示いたします。IZU PHOTO MUSEUMの富士写真シリーズの第2弾です。


【第1部 富士山イメージの型】

第1部ではIZU PHOTO MUSEUMのコレクションを中心に富士表象の定型をいくつかのパターンに分けてご覧いただきます。
300点以上の展示物からここではその一部をご紹介いたします。

[1] 富士山と観光
幕末から明治にかけて日本最大の開港地となった横浜では「横浜写真」と呼ばれる産業が生まれました。イタリア系イギリス人写真師、フェリーチェ・ベアトが横浜に写真館を開業し、日本の風景や人々の写真をアルバムに収めて開港地の外国人旅客向けに販売することを思いついたことがその始まりです。ベアトに続いた日本人写真師たちは手彩色した写真を蒔絵のアルバムに収めるなど、日本の伝統的な工芸品と組み合わせて商売を拡大しました。富士山は日本の代表的な名所として「横浜写真」の中心的なモチーフとなりました。海外に「フジヤマ・ゲイシャ」的な日本イメージが定着した一つの要因として、この頃大量に輸出された「横浜写真」の影響が考えられるでしょう。写真が印刷できるようになると「横浜写真」は廃れ、絵はがきへとシフトします。
日下部金兵衛《題名不詳(傘をさす女性)》1880-90年代、鶏卵紙に手彩色

[2] 富士山と登山
富士山は神体山として遙拝され、登拝されてきました。とりわけ江戸時代の富士講は隆盛を極め、「江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講。江戸に旗本八万騎、江戸に講中八万人」と言われたほどでした。幕末・明治期にはフェリーチェ・ベアトやハーバート・ポンティングなど多くの写真家たちが登頂し、頂上部などを撮影しています。19世紀末から20世紀にかけて、欧米では自宅にいながら異国の風景を立体視することのできるステレオ写真が人気を博し、富士山も数多く撮影されました。日本の最高峰も欧米発祥のツーリズムやアルピニズムの対象となりました。

[3] 富士山印
初夢に見ると縁起が良いとされるものを、めでたい順に並べたことわざに「一富士二鷹三茄子」というものがあります。日本一の高さを誇り、末広がりの美しい稜線を持つ富士山は、縁起ものとしてさまざまな場面で使用されてきました。アイコンとしても分かりやすい富士山を写真館の商標として写真の裏に印刷する写真師たちも数多くおり、現在でも切手や紙幣、会社のロゴなどに使われています。
ハーバート・ポンティング《日本の聖なる火山から見る雲海の日の出》、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』より、1907年6月
下岡蓮杖《題名不詳(福田行誡上人)》1866-70年頃、鶏卵紙(名刺判写真)

[4] 富士山と博覧会
日本が国家として初めて参加した1873年のウィーン万国博覧会では、高橋由一の《富士大図》や柴田是真の《富士田子浦蒔絵額》が出品されました。万国博覧会に頻出する富士について正岡子規は「万博の 博覧会にもち出せば 一等賞を取らん 不尽山」と詠んでいます。日本が近代国家として船出して以降、富士山は国の象徴として国際舞台で活躍していきます。
1937年のパリ万博では、富士山を中心にしたモンタージュの巨大壁画《日本観光》が制作され、話題を集めました。また、1939年のニューヨーク万博には日本の技術の高さと富士山の美しさをアピールするために《秀嶺富士》が出品されました。国の威信をかけて制作された当時世界最大の写真壁画となりました。紀元2600(1940)年記念の万博ポスターは、神武天皇の弓に止まったとされると富士を組み合わせたモダンなデザインでしたが、日中戦争の激化によって日本は万博と五輪の開催権を返上し、同時開催は幻に終わりました。日本でのオリンピックと万博の開催は戦後にまで持ち越されることになります。


『秀嶺富士大写真』六桜社、1939年、パンフレット

[5] 富士山とプロパガンダ
富士山は古来から霊峰として畏れられ、崇められてきました。戦時中は雄々しくそびえる富士山を背にした兵士たちの写真が戦意発揚のプロパガンダとして頻繁に使用されました。裾野の演習場では日本軍の軍事演習が行われ、多くの兵舎もありました。富士山は「神州日本」を守護する霊峰としての役割を担わされ、戦局の悪化とともに富士の名を冠した部隊も作られました。

[6] 富士山と乗り物
富士山は3000mを超える独立峰でありながら、海からも望むことができる世界でもあまり類をみない山です。船で日本を訪れた外国人は、海上から望むこの山に強い印象を受けたようで、富士山に関する記述は日本旅行記の類にも頻出します。1889年に東京と神戸を結ぶ東海道線が開通すると、多くの日本人がその姿を車窓から見ることができるようになりました。太平洋戦争の末期には、山頂部を雲の上に出す富士山がマリアナを北上してきた米軍の爆撃機の目標ともなり、「空の灯台」のような役割を果たしました。1945年9月2日、東京湾で行われた降伏文書調印式の際には、この季節には珍しく富士山の姿がはっきりと見えたため、艦上から数多く撮影されました。連合国艦隊と富士山を組み合わせた写真は「対日戦勝記念日」の象徴として流通しました。
『アサヒグラフ』1942年12月30日1943年1月6日合併号
撮影者不詳《題名不詳(B-29と富士山)》1945年、ゼラチン・シルバー・プリント


【第2部 富士山と気象:阿部正直博士の研究】
共同キュレーター:ヘルムート・ヴェルター

第2部では「雲の博士」として知られる阿部正直氏の仕事を紹介します。阿部博士は富士山周囲の気流が映像と写真の手法によってどのように可視化されうるか科学的な研究を行っており、膨大な数の写真やスケッチ、地形図などを残しました。

阿部正直博士
阿部雲気流研究所、1930年代
(中・右)
阿部正直(あべまさなお 1891-1966)
元福山藩主阿部家の第11代目当主。幼少期、父に連れられて活動写真を見て以来、映画に傾倒。東京帝国大学で寺田寅彦に雲の研究を勧められたことをきっかけに、研究の道へ入る。1927年、御殿場に私設の「阿部雲気流研究所」を設立(1945年に閉鎖)、富士山にかかる雲の定点観測を行う。海外から最新鋭の機材を購入するだけでなく、観測装置を自作して雲の研究に従事。1947年、中央気象台の初代研究所長となり、1955年には東京に私立阿部幼稚園を開園。1966年には英国のBOACボーイング707旅客機が富士山上空で飛行中突然空中分解した遭難事故原因の解明において、阿部博士の研究が貢献をした。著書として『Distribution and Movement of Cloud around Mt. Fuji Studied through Photographs(写真によって研究された富士山周辺の雲の分布と動き)』(1937年)『つるし雲』(1969年)などがある。阿部雲気流博物館の閉鎖に伴い、資料や観測機器が御殿場市に寄贈された。


阿部正直、測風気球観測風景、1932年頃
異なる高度での風速との関係を調べるために気球を飛ばして計測を行いました。
阿部正直、映像シークエンス(部分)、1932年11月・12月
●コマ落としの技法を利用することで、連続した雲の動きを観察することが可能になりました。
阿部正直の言葉


「雲は眼に見えない空気の状態を暗示する道しるべであり、奇術でいえば雲は結果としての「演出」であり、大空の空気の流れは「たね」「仕掛け」に当たるのである。」



「映画を取り入れた研究をどうして始めたかというと、すでに私と映画は切っても切れない間柄になっていたのである。雲にいどんで何十年というより、映画フィルムに憑かれて何十年といった方が適当なのかも知れない。」



「初期の撮影にはテントなども使用したが、そんな姑息な方法では目的が達せられないことを知り、御殿場新橋に撮影観測専門の小研究所を建て、立体写真、映画カメラ、測風観測の機械などを常設して、撮影することにした。1カ所で観測するばかりでなく、登山して撮影することもしばしば実行した。」



「雲の形がどのように変化しながら動いているかを調べるには、雲の動きを早めてみる方法を用いればよい。普通の映画撮影は一秒間十六ないし二十四齣であるが、この特殊撮影は齣落とし撮影といって、数秒ごとに一枚というきわめてゆっくりした撮影を行うのである。」


すべて『つるし雲』(1969年)より




●関連イベント

【ギャラリートーク】


●共同企画者ヘルムート・ヴェルター氏を迎えて
2015年1月17日(土) 午後2:15−(約60分間)
無料、申し込み不要。当日有効の入館券が必要です。美術館受付カウンターの前にお集まりください。


●学芸員によるギャラリートーク
学芸員が展覧会解説を行います。
2015年2月21日(土)、3月21日(土)、4月25日(土)、
5月23日(土)、6月20日(土)
各回午後2:15−(約30分間)
無料、申し込み不要。当日有効の入館券が必要です。美術館受付カウンターの前にお集まりください。


【ワークショップ】

「ステレオ立体写真をつくろう」
2015年3月14日(土) 午後2:15−4:00
対象=こどもから大人まで、定員=15名、参加費=1,000円
※ご同伴の方は当日の美術館入館券が必要です。
参加方法=お電話にてお申し込みください。
TEL. 055-989-8780


●関連書籍

『The Movement of Clouds around Mount Fuji/Photographed and Filmed by Masanao Abe(富士山周囲の雲の動き/写真・映像 阿部正直)』
ヘルムート・ヴェルター著、B4判変型、224頁
2015年2月、Spector Books刊行予定(英語版)
予価50ユーロ




『富士幻景—近代日本と富士の病』
小原真史著・監修
IZU PHOTO MUSEUM刊(発売中)
B5判変型、244頁
本体3,600円+税